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          藤田満 日記 (blog)

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                                          藤田満の食べ歩きお店紹介




平成31年4月17日
延び延びになっていた損壊保険募集人の更新試験2時間の試験は辛い
羽曳野・藤井寺自転車軽自動車商業協同組合総会

平成31年4月16日
えびね温泉・井場八尾市議会議員選挙候補者の所へ陣中見舞い

平成31年年4月14日
叔父のお葬式前に向島のお墓参りをして葬儀に参列
長尾敬 内閣府政務官から弔電を頂く

平成31年4月13日
叔父の平野正市が亡くなると連絡を頂く、嫁と直ぐに山口県防府市へ
お通夜では懐かしい従兄弟に会い昔話をする

平成31年4月7日
大阪府府議会議員選挙投票日



平成31年4月4日
第7回選対会議

平成31年4月2日
久美 検査の為 国際ガンセンターへ
第6回選対会議

平成31年4月1日
町会評議員会

平成31年3月31日
町会お花見




平成31年3月29日
大阪府議会議員選挙告示日
出陣式



平成31年3月28日
大阪府自動車整備振興会理事会

平成31年3月27日
第5回選対会議

平成31年3月24日
北川市長後援会総会



平成31年3月22日
第4回選対会議

平成31年3月16日
第3回選対会議

平成31年3月11日
第2回選対会議

平成31年3月8日
ひろせ正美 後援会事務所に電話回線が繋がる

第1回選対会議

平成31年3月6日
税務申告で西本先生と打合せ

ひろせ正美 後援会事務所にリース機材が届く

平成31年3月5日
ひろせ正美 後援会事務所を一応開く

藤井寺JCシニアクラブ役員会議

平成31年3月4日
羽曳野・藤井寺自動車整備地区会役員会議

平成31年3月2日
自由民主党羽曳野市支部緊急役員会議。
全会一致にて廣瀬正美氏を統一地方選挙府議会議員選挙公認候補者として
府連に申請する事を決定

平成31年3月1日
町会評議員会

平成31年2月28日
父 末廣の11周忌

平成31年2月27日
統一地方選挙府議会議員候補として公募申請が有った方と阪倉支部長と面談

平成31年2月26日
羽曳野・藤井寺二輪車安全普及協会総会

平成31年2月23日
町会役員会議

平成31年2月22日
久美親戚の結婚式の為沖縄へ

平成31年2月20日
税務申告の為西本先生の所へ、西本先生が昨日緊急入院

平成31年2月19日
自動車関係者9名で長尾敬政務官の所で金融庁と勉強会・首相官邸訪問



平成31年2月16日
自由民主党大阪府選出国会議員と大阪府自動車整備振興会との意見交換会

平成31年2月8日
大阪府自動車販売事業協同組合大阪市ブロック長会議

平成31年2月6日
母トキコの一周忌

平成31年2月5日
羽曳野自動車工業前社長お葬式

羽曳野市自動車協力会総会

平成31年2月4日
長尾敬衆議院議員パーティ

羽曳野自動車工業前社長お通夜

平成31年2月2日
松井康夫市議新年会

平成31年2月1日
町会評議員会

平成31年1月26日
町会役員会議

平成31年1月24日
自由民主党羽曳野市支部役員会議

平成31年1月22日
大阪府自動車販売事業協同組合理事会・支部長会・新年会 がんこ平野にて

平成31年1月21日
スズキ二輪全国大会が東京で有る
はじめ が出席

平成31年1月18日
緊急自由民主党羽曳野市支部役員会議

平成31年1月16日
藤井寺JCシニアクラブ役員会議 監事として出席
この為、ひろし を関空まで見送る事ができなかった

平成31年1月15日
スズキ四輪全国大会が神戸で有る
はじめ が出席
自由民主党羽曳野市支部四者会議

平成31年1月11日
平成31年大阪府自動車関係業界年賀交歓会

平成31年1月10日
大阪府自転車軽自動車商業協同組合理事会

平成31年1月9日
久美の弟が大阪に来られる

平成31年1月6日
仕事始め

夜、緊急の自由民主党羽曳野市会議



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さかくら久晴さん
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僕が生まれました
羽曳野市五軒家
今の豊川病院の南側

竹之内街道沿いに面しています

竹内街道わらべ歌

雨は降るふる 古市で
傘を借るかる 軽墓で
馬に乗るのる 野々上で
馬が死ぬしぬ 新田で
コロッと落ちたら五軒家の坂で
金は樫山 もって郡戸(こおず)
煙草一ぷく のむ野村
丹南 松原 麦どころ
一石播いて 八斗どり
せんど歩いて またくらの
前足に 大豆塚でけました


先日、田仲市議からこの歌の全文が見つかったとお聞きしました。時間が出来たら教育委員会へお聞きしに行こうと思います。



履中天皇の御歌が古事記に五軒家が埴生坂として紹介されています

波邇布(はにふ)に到りまして、難波の宮を見やりたまへば、其の火なほ炳(あか)くみえたり。かれ天皇また御歌はしけらく

埴生坂(はにふざか) 我が立ち見れば かぎろひの 燃ゆる家群(いへむら) 妻が家のあたり


当麻路物語はこうである、
去来穂別王(いざほわけのきみ)履中天皇が難波宮にいた時、弟の住吉仲皇子(すみよしのなかつみこ)が叛乱を起し、天皇を討ち取ろうと思って、火を御殿に放った。そのため天皇はアチ直(あたい)に連れられて密かに、倭に逃げたのである。
波邇布(はにふ)に到りまして、難波の宮を見やりたまへば、其の火なほ炳(あか)くみえたり。かれ天皇また御歌はしけらく
埴生坂(はにふざか) 我が立ち見れば かぎろひの 燃ゆる家群(いへむら) 妻が家のあたり (古事記)

【通釈】埴生坂の上に立って眺めると、燃えている家々が見える。妻の家のあたりが。

【補記】古事記下巻。難波の宮を住吉仲皇子によって焼かれた天皇が、波邇賦坂に至って、なお燃えさかる宮を望見しての詠。説話を離れて読めば、春、陽炎のたつ妻の郷里を眺めての、のどかな国見歌になる。



言い伝えでは私の母屋の有る樫山には反正天皇(はんぜいてんのう、406年2月3日〜410年2月12日)の離宮が有ったと事、ヒガイノ古墳は反正天皇の子女である高部皇子(たかべのおうじ)の古墳であり、発掘によりますと、後に古市大溝建設に当たり古墳の半分が削り取られており、古市大溝が国家プロジェクトで有った証拠である。
ただこの言い伝えは亡くなった親父から聞いた者で定かでは無い。



自民党石破さんと